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平村女子高生銃殺事件

 授業中に銃を持ったテロリストが乱入、おびえるクラスメイト。そんな中、アクロバティックな動きでテロリストを制圧し、みんなに感謝される自分・・・。小学校高学年から中学生にかけて、いよいよ授業についていけなくなった私は上の空で、そんな妄想によく励んでいたものであるが(余談だが「授業中 テロリスト 乱入」で検索すると、どうも多くの元・男子たちが同じ妄想を繰り広げていたようだ)、そんな妄想を地でいく事件が昭和の富山で起きた。

教室に侵入、猟銃発砲 富山・福野高校平分校試験の18人立たせ 女生徒撃ち殺す 精神異常の元国体選手
【福光発】十七日朝、富山県で精神異常の青年が猟銃を持って定時制高校の教室に侵入、実弾を発射、生徒を死亡させるという事件があった。
同日午前八時四十分ごろ東砺波郡平村下梨、■■■■さん六男■■(二〇)は、近所の■■■■さん方などから猟銃二丁と弾帯を持ち出し、約二㌔離れた福野高校平分校(昼間定時制)の窓から四年生の教室に侵入、学期末試験中の生徒十七人(男子十一、女子六)と、■■■教諭(二六)を黒板の前に前向きに立たせ、■■■■■さん(一八)(■■■さん三女)をねらって発砲、一発めは右胸、二発めは左胸に命中、三発目は隣の教員室の壁を撃ち抜いた。■■■さんは近くの藤井病院に収容されたが、出血多量で同九時五十分死亡した。■■はその後分校近くの平橋中央で銃をかまえ、人が近寄ると発砲する態度をみせるので福光署では付近地区民に避難を命ずるとともに、県警本部に催涙弾による応援を要請、地元消防団と■■を遠巻きにして警戒に当たった。しかし同十時ごろになって■■の態度が平静になったようなので同村上梨、土建業、■■■■さん(五八)が橋のたもとから説得、同署員が近寄って銃をとりあげ殺人現行犯で逮捕した。■■は今春同分校を卒業したが、在校中からスキーの選手として活躍、昨年の国体には富山県代表として参加している。しかし子どものころ脳膜炎をわずらい、粗暴癖が強く卒業後は就職もせずブラブラしていた。この事件も病的な異常さが高まっての犯行とみられている。

はじめ冗談と思った
同級生■■■■■さん(一八)の話「英語のテスト中にいきなり窓の外から飛び込んできて動くと撃つぞとおどかされ、黒板の前にみんな並ばされてはじめは冗談だと思っていたが、■■の顔がひきつっており■■さんが撃たれたあとはわたくしたちも殺されると思って恐ろしさでいっぱいでした」”(読売新聞夕刊1962.7.17)


猟銃で脅して教師と生徒たちを黒板の前に並ばせ、一人を射殺する・・・。光景を想像するとまるでマンガのような話である。そして、動機はあまりに身勝手なものであった。

恋の恨みから 富山の女生徒射殺事件【福光発】十七日朝、富山県東砺波郡平村福野高校平分校の教室に侵入、同校定時制四年■■■■■さん(一八)(夕刊■■■は誤り)を猟銃で射殺した同村上梨農■■■■(二〇)は同日午後身柄を福光署に留置されたが、動機については失恋のためと自供した。自供によると■■は同校在学中から交際を要求して相手にされなかった■■■さんを殺そうと思い、付近の民家二軒から盗み出した村田式二連銃二丁と四十発装てんの弾帯二帯を持って同日午前四時ごろ分校二階の図書室にもぐり込んで生徒の登校を待ち構えた。同八時半ごろ廊下に出たさい生徒に気づかれ一発発射、グラウンドに出て四年学級に侵入し凶行に及んだ。同署では脳膜炎をわずらって粗暴癖が強く病的な異常さが高まっての犯行とみている。”(読売新聞朝刊1962.7.18)

要するに一方的に行為を抱いていただけにもかかわらず、相手にされなかったことに逆上して殺害したのである。あまりに身勝手かつ腹立たしい事件であるが、男に下った罰はあまりに軽いものだった。

女生徒射殺に懲役15年 富山 元国体スキー選手に判決【高岡発】さる七月十七日富山県東砺波郡平村、県立福野高平分校教室内で同校四年(定時制)■■■■■さん(一八)を猟銃で射殺した同村、無職、元国体スキー選手■■■■(二〇)の判決公判は二十八日午前十時から富山地裁高岡支部で開かれ、水島裁判長は懲役十五年(求刑無期)をいいわたした。■■がこどものときにわずらった脳膜炎の後遺症があること、片思いの行為などの点に情状が認められた。”(読売新聞夕刊1962.12.28)

 この男の“片思いの行為”のどこに情状を認めることができるのだろうか。また、脳膜炎の後遺症が再三にわたって言及されているが、始業時間まで校内に潜伏し、大勢の生徒の中から目的の女生徒だけを見つけ出し、右胸と左胸の急所に撃って殺害している点から見てそれほど考慮すべきものでもないように思う。
 他人の人生を十八年で終わらせた犯人がいまも生きているとすれば七十代になっている。私たちの隣人として、善良な市民のフリをして暮らしていると思うと、うすら寒い限りである。

新聞記事から考察する「坪野鉱泉少女二名失踪事件」【情報求】

この記事を部分的に引用・転載する場合は必ず出典を明記してください。全文転載は禁止です。また、商利用も禁止です(アフィブログ・NAVERまとめ含)。発見次第、告訴します。
坪野鉱泉

1、失踪事件と連続放火事件

1996年5月5日、魚津市にある廃墟・ホテル坪野跡(通称・坪野鉱泉)を肝試し目的で訪れた氷見市の少女二人が消息を絶った。この事件は発生から1年後の翌97年5月4日と5日に読売新聞北陸支社版17面「富山よみうり」で2日間に渡って特集記事が組まれた。同年3月に準公開捜査に踏み切っているため、これが最初の報道となる。

“昨年五月五日、「肝試しに行く」と乗用車で家を出た氷見市内の十九歳(当時)の女性二人が、忽然と姿を消した。二人は同日深夜、ポケットベルで、「魚津市にいる」といううメッセージを友人に送った後、連絡が途絶えた。魚津市の山中には、「肝試しの場所」として週刊誌ても取り上げられ、暴走族らのたまり場となっている廃墟と化した元温泉旅館跡があり、二人はそこに向かっだ可能性が強い。行万不明になっているのは、氷見市内の会社員A子さんと元スーパー店員B子さんの二人。当時いずれも十九歳で、同市内の県立高校同級生。これまでの県警、氷見、魚津署の調べによると、二人は、昨年五月五日午後九時ごろ、家族に「魚津へ肝試しに行く」と告げて、B子さんの車で氷見市を出発した。途中、やはり若者のたまり場所となっている新湊市の海王丸パークに立ち寄り、友人に会っている。さらに同日午後十時過ぎ、二人が乗ったB子さんの車が、富山市と滑川市の市境の国道八号線を魚津へ向かって走っているのが、確認されている。”(富山よみうり97.5.4)

5日の記事では、事件を知った魚津市坪野地区の住民は治安悪化への懸念から坪野鉱泉跡の所有者に解体を求めたことが報じられている。5月18日の読売新聞朝刊17面でも「建物解体、明言せず 魚津ホテル跡所有者住民に 少女不明から1年」と報じられているが、5日の記事と内容が重複するため、割愛する。

“施設の取り壊しを求める声が出ているが、その後の利用法に妙案はない。「提訴も辞さない」という地元の反発に、現所有者は市に寄付を申し出たが、市は「ビルの取り壊し費用だけでもばかにならない」と二の足を踏んでいる。かつてはスキー場開発話もあった同地区。暴走族らのたまり場と化した同ホテル跡も、バブル崩壊のつめ跡として放置されている。約十五年前に倒産。経営者は行方不明となり、九〇年十一月、冨山市内の会社経営者が競売にかけられた同ホテル跡の土地と建物を約三千五百万円で落札した。一九八〇年代後半まで、近くではスキー場建設などのリゾート開発の話もあり、ある程度、利用価値も見込まれた。しかし、バブル崩壊で開発話は頓挫、倒産時から敷地と建物は野ざらし状態が続く。(・・・)元ホテル跡がある魚津市坪野地区(三十四世帯)では昨年八月、地区役員会を開き、元ホテル坪野跡地問題を審議。その結果、現所有者に早急に地元との話し合いに着くよう要請した。また、地元市議が同市に対策を申し入れている。これに対し現所有者は同月中旬、市役所を訪れ、敷地と建物を「市に寄付したい」と申し入れた。しかし、建物は建築基準に合わないばかりか、解体費用だけでも、二千五百万円以上かかり、市は断っている。現所有者は民間人にも譲渡を希望しているというが、同ホテル跡は魚津市中心部から約十キロの山中。周辺は、山沿いの水田で、目立った観光施設もなく、リゾート開発話が消えた現段階では引き取り手はない。.”(富山よみうり97.5.5)

坪野鉱泉跡の建物が現存している通り、この話し合いは実を結ばなかった。尚、5日の記事によって坪野鉱泉跡の所有者が噂されるような暴力団関係者ではなく、富山市内の会社経営者であることが明らかにされている。

“深夜に若者たちがたむろするようになり、窓ガラスは無残に割られ、落書きとガラスの破片で、室内も荒れ放題だ。週末ごとに暴走族が押し掛け、深夜、ビルの屋上に上り爆竹や花火を鳴らして騒ぎ立てるようになった。車と猛スピードですれ違ってゆく彼らの車に、地元住民は恐怖感を募らせる。このほか、自宅に止めていた車が盗まれた、元ホテル跡地にあったお宮が燃やされた、などの届け出さえある。”(富山よみうり97.5.5)

 97年7月30日の読売新聞朝刊19面「ホテル跡地にバリケード 暴走、喧騒収まらず 魚津」によると、こうした無法地帯と化した坪野鉱泉跡を何とかしようと、所有者と住民代表の話し合いで建物を囲むバリケードが設置されたが、対策もむなしく、現在このバリケードは切断された上に穴をあけられ、容易に侵入できるようになっている。
 97年8月25日の富山新聞朝刊「霊水「薬師の水」復活 旧坪野鉱泉源泉跡に採水場整備 魚津 」は失踪事件については触れていないが、倒産後10年以上放置されていた鉱泉を事件直後に整備したことから、治安対策として行われたものと思われる。
 “お宮が燃やされた、などの届け出”については写真付きで下記のように報じられている。

“三日午前七時半ごろ、魚津市坪野、旧坪野鉱泉の敷地内で仏像を祭っていた薬師堂から出火、木造平屋建て約六十平方㍍を全焼した。魚津署の調べでは、同鉱泉は九年前に倒産したが、建物はそのまま残っており、非行少年などのたまり場になっていた。この日も午前七時ごろ、数人の少年が帰っていくのを地元の人が見ていることから、少年らが薬師の中で暖をとっていた火が燃え移ったか、いたずらとみて調べている。”(北日本新聞朝刊90.3.3)(北日本新聞朝刊90.3.4)

これは敷地内のお宮が放火された事件であるが、この放火の5年前には、坪野鉱泉跡の建物そのものが放火される事件も発生している。

“無人の倒産鉱泉焼く 魚津 侵入者のたばこ火か
十五日午前五時半ごろ、魚津市坪野の廃屋となっている坪野鉱泉旧館二階付近から出火、同木造一部鉄筋二階建て二千平方㍍のうち約一千平方㍍を焼いた。同鉱泉は五年前に倒産、その後管理人もおらず、荒れたままになっていた。電気、ガスなどの火の気もないため、魚津署は不審火とみている。現場検証では、燃え落ちた屋根などがじゃまになり、原因を特定できなかったが、以前から車に乗った若いグループなどがよく深夜に出入りしており、侵入者のたばこ火の不始末との見方を強めている。出火一時間ほど前にも、四、五台の車が通るのを付近民が見ている。同鉱泉は現在、銀行などの抵当に入っている。同署は管財人の弁護士を通じ、クレーンで崩れた骨材を掘り起こす了解を取った上で、再調査する。”(北日本新聞朝刊85.9.16)


これら2件はいずれも倒産後の放火事件であるが、更に昔の新聞をさかのぼると、坪野鉱泉の経営中にも近辺で不審火が発生している。

“雑木林焼く 魚津
十日午前十一時ごろ、魚津市坪野、坪野鉱泉裏手の山の雑木林から出火。枯草など約九百平方㍍を焼いて間もなく消し止めた。ポンプ車二台と消防団員十五人が出動した。魚津署が原因を調べている。”(北日本新聞朝刊79.1.10)


 乾燥する冬場のことなので、これは落雷などによる自然発火の可能性もあるが、放火であれば、経営者の失踪やリゾート開発計画の存在などから何者かによる脅迫であった可能性は考えられないだろうか。
 リゾート開発の詳細は不明だが、恐らく2013年に閉鎖した大谷温泉や90年代初めに閉鎖した大谷温泉スキー場を内包していたものと考えられる。
 坪野鉱泉の経営者については閉鎖したオカルトサイト「富山の恐怖図鑑」や2ちゃんねるなどに「東京で暮らしている」「自殺した」などと書かれていたが、「富山よみうり」の報道により行方不明となっていることが明らかになっている。検証のため、富山県商工会連合会から発行された「富山県商工名鑑」の昭和49年版と昭和56年版で当時の経営者名を確認し、富山県と東京都の電話帳を調べたところ、東京都八王子市に同姓同名の人物がいることがわかり、何度か電話をかけてみたが、繋がらなかったので、元経営者と同一人物であるかどうかは確認できていない。

坪野鉱泉

坪野④

2.見つからない車

“県警と氷見、魚津署は昨年六月下旬と十一月下旬の二回、魚津市内の国道八号線から同市坪野へ向かう道路を四コースに分け、それぞれ県警ヘリと山岳警備隊を動員、車が転落しそうな地点を徹底的に捜索した。厳しい山道もあり、各ガケでは、谷底までロープを使って警察官が下りたりもしたが、何の手掛かりも得られなかった。県警は、二人が載っていたB子さんの車が発見されないことなどから、谷底や湖、海などへの転落の可能性が強いと見ている。しかし、二人が向かったとされる場所が暴走族らのたまり場となっていたことなどから、事件に巻き込まれた可能性も捨てき.れないとして捜査、家族から家出人届を受けた氷見署では、これまで、二人の友達関係者や家に残っていた所持品を調べるとともに、十数人の男性の友達からも事情を聞くなどしている。二人が今年三月で二十歳になったこともあり、県警では「尋ね人」として、警察署内の限定付きではあるが、二人の特徴などを示したパンフレットを作り、"準公開捜査"に踏み切った。しかし、有力情報は今のところない。(・・・)B子さんの車は、九五年式スバルVIVIO、黒色。ナンバーは、「富山50 そ 14-02」”(富山よみうり97.5.5)

 ポケベルのメッセージは恐らく市境にある看板や標識で魚津市に入ったことを知って送られたものと思われる。ここで一つ疑問なのは富山市と滑川市の市境で“22時過ぎ”に目撃されてから魚津市に着いたとメッセージを送った頃には“深夜”という表現になっていることである。具体的な時間は書かれていないが、“深夜”と表現するからには24時以降であると思われる。夜の車がほとんど走っていない国道8号線で富山・滑川の市境から魚津市まで1時間半もかかるものなのだろうか。
 移動した時間帯や警察が捜査したと思われるガソリンスタンドの目撃情報がないことなどから、二人が給油せずに氷見市小久米を発って、海王丸パークに寄り、国道8号を通って魚津市坪野へ向かったと仮定すると、残りの燃料で行ける距離はかなり限られてくるのではないだろうか。当時はセルフや24時間営業のガソリンスタンドが今ほど多くなかった。

3、北朝鮮犯行説

失踪事件で必ず考えなければならないのは北朝鮮による拉致である。ただ、断っておくが、坪野鉱泉の失踪事件を北の拉致と結論付ける確証は得られていない。姿の見えない北朝鮮工作員よりも、坪野鉱泉をたまり場にしていた暴走族の方がずっと疑わしいからだ。この章ではあくまで可能性を考えるだけにとどめておく。
 坪野鉱泉の事件からさかのぼること18年前、1978年は福井や新潟、鹿児島などで男女が相次いで消える事件が発生している。そして未遂で終わっているが、同じ年に富山県高岡市でも雨晴海岸でもアベックが拉致されそうになる事件が発生した(詳細は北日本新聞夕刊02.10.1「黒い影を追って㊤・20年前の高岡・アベック拉致未遂(スクランブル)」 )。
 この男女をターゲットにした拉致は一説によると新潟で拉致された横田めぐみさんが孤独にともなうストレスによって精神不安定に陥ったことから始まったとされる。拉致した二人を別々の船倉に閉じ込めて孤独感をつのらすように仕向け、不安感により従順になったところで引き合わせて精神を安定させることを狙ったものとされている。
 少女二人の拉致でも同じように洗脳することは可能だろう。ただ、この二人の人間をまとめて拉致する事例は78年以降確認できていないため、坪野鉱泉事件にこれらの拉致事件との関連は見出せない。
 坪野鉱泉少女二名失踪事件の北朝鮮犯行説がいま一つ説として弱いのは、特定失踪者の事例と年代的な開きがあるからである。県警も坪野鉱泉の事件については拉致とは考えていないらしい。

“県内ではほかにも、平成八年に氷見市の女性二人=当時(十九)=が車で魚津市山間地の温泉旅館跡に出掛けたまま行方不明になっている。しかし、県警は道に迷ってダムなどに車ごと転落した可能性があるとみており、拉致とは関連付けていない。”(北日本新聞朝刊02.9.21「雨晴の男女拉致未遂 曽我さん失踪の3日後」)

 2015年現在、富山県内もしくは富山県に関係する特定失踪者は県警HP掲載の8人のほか、城鳥正義さんと中嶋慶子さん、金姫順さんら3名を含めた計11人に上る。
 このうち旧・新湊市(現・射水市)で自宅から万葉線新湊駅付近の銭湯に車で向かったまま失踪した谷ヶ崎清一さんは、坪野鉱泉の事件同様、車が見つかっていない。富山県の特定失踪者で車ごと失踪している例は他にないが、県外であれば山本修司さん、安達俊之さんと同僚女性、和田幸二さん、石井久宏さん、園田一・敏子さん夫妻、西村京子さん、曽ヶ端崇史さんなどが挙げられる。車の隠滅方法については不明だが、元工作員の安明進は教官から聞いた話として、

“オートバイの処理に悩んだ侵入組は、大変な思いをして土を掘って埋めたという。”(「北朝鮮拉致工作員」P169)

と書いている。これは北海道で男性を拉致した時のこととされる。他に楽な処分方法はいくらでもあったにも関わらず、なぜ埋めるという方法をとったのか。ここからは憶測であるが、工作員は証拠隠滅の方法として原則埋めるよう教育されているのではないだろうか。森林に投棄する、水中に沈めるという方法は楽だが、ちょっとした拍子に発見されてしまう可能性がある。埋めるという手段であれば、埋めたことを知っている人間でなければ滅多に発見されるものではない。北の工作員が水中スクーターを黒部川河口に埋めて隠滅しようとしたことから見ても、可能性は高い。

2001年3月、黒部川河口の海岸で3機の外国製上陸浸透用水中スクーターが発見され、付近の植生から1998年11月下旬から翌年4月の間に埋められたとみられている。(北日本新聞朝刊01.4.7「「北」の水中スクーターか 黒部川河口 工作員潜入の疑い 県警捜査 福井の遺留品と酷似 遠い民家、防風林で死角」要約)

では、坪野鉱泉の失踪事件が北の拉致だとしたら、工作員はオートバイや水中スクーターより遥かに大きい軽四自動車を埋めたのだろうか。私は軽四に関しては埋める以外の方法を取ったと考えている。次の文章をみてほしい。

“在日の存在が目立つ分野に金融と産廃がある。(・・・)産廃は、昔の廃品回収業、すなわち、屑屋の流れをひいている。(・・・)二世たちはリヤカーを四トントラックに変え、屑鉄のかわりに産業廃棄物を積むようになった。”(「わが朝鮮総連の罪と罰」P232)

この辺りの事情は富山県内であっても同様である。在日朝鮮人の協力者、いわゆる土台人の手を借りれば、重機を用意して軽四自動車一台を埋めるスペースを確保することも難しくはない。また、県内の在日が経営する産廃業者には、廃車処分を行っているところもあるので、分解して埋めることも可能だろう。
 ただしこの推理には重機を扱える建設土木関係者や車に精通した人間さえいえれば、暴走族でも可能であるため、北の拉致だと断定する根拠にはなりえない。また、拉致濃厚とされる特定失踪者の尾上民公乃(おのえみのこ)さんの事件では、尾上さんの車が無人で助手席の窓を開けたまま埠頭から海中に投棄されている。
  次に紹介するのは特定失踪者ではないが、状況証拠から拉致の可能性が高い失踪事件である。ただ、ネットから拾ったものであるため、情報源が不詳であることをご了承いただきたい。

“アルビレックス新潟の元練習生が3年前に謎の失踪、拉致との関係を捜査へ 富山県警

1999年12月に、アルビレックス新潟の元練習生だったIさん(当時19)が、地元の富山で幼なじみに「近くのグラウンドでボールを蹴ってくる」と言ったまま行方不明になっている。Iさんの母親は2000年3月に心筋梗塞で死亡。(・・・)2001年1月に、Iさんのものと思われる、携帯電話が富山の海岸沿いで発見された。携帯電話は破損が激しく、通話できる状態ではなかった。拉致との関係の可能性も高いと見て、富山県警は事実解明に乗り出す。”(不明)


この事件は失踪者の唯一の肉親である母親の死によって、誰もIさんを捜す人がいなくなってしまっている。元工作員の張龍雲によると、

“拉致対象者は事前に家族や親族関係を綿密に調査されるので、原則的には天涯孤独の者が狙われる。”(朝鮮総連工作員『黒い蛇の遺言状』P118-119)

とのことである。元練習生Iさんの失踪が拉致であるとすれば、天涯孤独という原則からは外れているものの、心臓を病んだ母親と暮らす母子家庭であったことから拉致対象にされた可能性が考えられる。天涯孤独という原則に合致した拉致被害者としては他に原敕晁さんや田中実さんが有名であり、母子家庭であれば中村三奈子さんが挙げられる。元工作員・安明進は特定失踪者に含まれていない人間も相当数いたと証言している。拉致対象として天涯孤独であることが原則とされているのは、拉致しても積極的に捜す者がいないため大事にならず、日本人のなりすましが容易であるからとされる。これらを踏まえて坪野鉱泉の事件に関する次の記事を読んでほしい。

“一人の女性の祖母は「そろそろ孫娘の魂を休ませる場所を作ろうと考えている。でもあきらめきれなくて…」と漏らす。もう一人の女性の祖父母は「朝起きると、庭にあの子の車が止まっていないか探してしまう。新潟の女性のようにうまく発見できればいいが、もう国内にいないのかもしれない」と肩を落とした。孫娘の部屋は、今でも四年前のままにしてあるという。(・・・)公開されている「尋ね人」は氷見市の女性二人のほか、八年十一月に車で家を出たままとなっている大門町の女性=当時(25)=がいる。”(北日本新聞朝刊00.3.3「魚津の山中に消えた2氷見女性足取り消えて4年/県警、捜査徹底を確認」)

なぜ取材に応じている少女達の家族はいずれも祖父母なのか。取材時に留守であった可能性もあるが、実の娘の失踪事件について久しぶりに取材に来たにも関わらず、なぜ両親が表に出てこないのか。失踪した少女達はどちらも両親のいない家庭だったのだろうか。
 尚、同記事には“平成八年十一月に車で家を出たままとなっている大門町の女性=当時(25)=がいる。”と、簡単に書かれているが、これは坪野鉱泉事件と同年に発生した若い女性が車ごと失踪した事件であり、特定失踪者は同時期にまとめて失踪することが多いので、坪野鉱泉事件との関連が疑われる。この失踪者については続報が得られていないため、詳細は不明である。
 高岡市のアベック拉致未遂事件以外、ほとんど痕跡を残さない北朝鮮工作員であるが、過去の新聞を眺めていると以下のような記事が散見された。

“1981年3月30日、北朝鮮工作員の姜正彦(当時50歳前後)が偽造外国人登録証明書、工作資金を携行して高岡市の国分港付近の海岸から密入国し、氷見線越中国分駅ホームで泥酔中のところを職質され、「韓国人」と名乗ったが、不審点があることから姜が宿泊していた高岡駅前のホテルに移送した。その翌31日、ホテル7階から「金日成万歳!」 と叫んで自殺した。”(北日本新聞夕刊02.10.3「黒い影を追って㊦・北工作員・高岡で21年前謎の自殺(スクランブル) 」要約)

この事件は伏木国分事件と呼ばれているが、特定失踪者の山田建治さんの車が発見された場所から20mしか離れていないので、関連が疑われている。「わが朝鮮総聯の罪と罰」P106-107「わたしがつくった北朝鮮工作船着岸ポイント38ヶ所」には、富山県の着岸ポイントとして“入善町芦崎(黒部川河口)”と“高岡市太田(雨晴)<雨晴海岸>”、“氷見市新川河口”が挙げられている。先に紹介した黒部川河口の水中スクーターを含め、これを裏付ける事件は他にもある。

対南工作のための工作員獲得などのために日本を拠点としていた北朝鮮の工作員・佐藤信一こと朴一(当時55歳)に獲得された李龍雨(徳山龍雨)は1979年4月24日、富山市の水橋海岸から北朝鮮へ渡り、工作員教育を受けて翌年2月20日に福井県敦賀港から潜入し、工作中に逮捕された。

1976年9月12日、原敕晁さん拉致の実行犯辛光洙が早月川河口から密出国。辛は幼少期を高岡で過ごしている。(北日本新聞朝刊02.8.2「北工作員に逮捕状 80年の日本人拉致 初の国際手配へ 幼少時代を高岡で過ごす」要約)


4、ネットの噂を検証

その他、ネットでよく見る噂について検証する。

「坪野鉱泉へ肝試しに行く」と一九九六年五月五日、乗用車で家を出た氷見市に住む当時十九歳の少女二名が行方不明になった。県警などによると、行方不明になっている氷見市内の会社員A子さんとスーパー店員のB子さんは新湊市の海洋丸パークで知り合った友達から、元ホテル坪野跡地が「肝だめしの場所」となっていることを知らされている。これまでの調べで二人は事件当日以前にも一度、同ホテル跡を訪れ、不明となった日も同ホテル跡を目指していた。その日、スーパー店員のB子さんは勤め先で懐中電灯の電池を購入。アルバイト店員に「今晩、肝だめしに行こう」と誘ったが、断られ、A子さんに電話している。同日深夜、「今魚津市にいる」というメッセージを友人のポケットベルに送った二人。その後の足取りは何も分かっていない。

これはオカルトサイト「富山の恐怖図鑑」に掲載されていた文章である。この文章を転載しているサイトでは新聞記事からの抜粋とされているが、地元紙で上記の文章を載せた記事は存在しないため、恐らく先に紹介した97年5月4-5日の「富山よみうり」の記事に創作を混ぜたものである。創作箇所は、失踪した“二人は事件当日以前にも一度、同ホテル跡を訪れ”ていたということ、“スーパー店員のB子さん”(「富山よみうり」では元スーパー店員となっている)が“勤め先で懐中電灯の電池を購入”したこと、職場の“アルバイト店員”を誘うも、“断られ”て“A子さんに電話している”ことなどである。

宜保愛子が入るのを拒んだ。

事実として語られることが多いが、番組名や放送日時といった情報源が挙げられたことはなく、同様の噂が京都府の東山トンネルや鳥取県のモーテル静山荘跡など、全国の心霊スポットに伝わっていることからデマと考えられる。

1980年代にプール「ネッシーランド」で男児が溺死。これが折からの経営不振と重なって倒産した。

この事故を裏付ける記事が見つかっていないことから、真偽は不明である。プールでの溺死は毎年のように報道されている上に、プールや浴場を擁する廃墟に子供や高齢者の死亡事故の噂は付き物であることなどから、単なる噂である可能性はある。「実話ナックルズ」は、

“小学生の死亡記事は噂ではなく本当(実話ナックルズ2007年11月)”

と断言しているが、情報源は提示されていない。坪野鉱泉の新聞広告でプールの名前がワイキキプールやネッシーランドなど複数あるのは、死亡事故を受けての改称とも考えられるが、事故自体の裏が取れていない現状では、何とも言えない。

建物内部に盗聴器が無数仕掛けられており、個人情報を言うと建物を所有する暴力団から後日脅迫を受ける。

無数の盗聴器から盗聴した音声を受信する設備のコストや無理してせいぜい1km程度しか飛ばせないこと、坪野鉱泉跡は電気が通っていないことなどを考えると現実味がない。

少女達の車は新湊市(現射水市)もしくは氷見市で見つかった。

これは2ちゃんねるからWikiに転載された情報であるが、氷見や新湊の港町というイメージから、拉致と結び付けるために創作されたものと思われる。雑誌「実話ナックルズ」は車について、

“氷見署に「失踪した少女の車が氷見市の港に放置してあった」という目撃情報が寄せられていた。(実話ナックルズ2006年12月)”

“彼女たちが乗っていたとされる車は失踪後、氷見市内で発見される。それでも車内に失踪に結びつくような手がかりはなく、捜査はお手上げ状態。”(実話ナックルズ2007年11月)


と、二度に渡り記事に書いているが、信憑性は低い。なぜなら、記事に書かれた情報の多くが地元紙の報じた確定事実と反するからである。例えば、

“ナンパで知り合った男の車に同乗し、一緒に坪野鉱泉に向かったとの未確認情報もあり、「その男にレイプされ、「警察に訴えてやる」と言って殺された」との噂も流れている」”(実話ナックルズ2007年11月)

「富山よみうり」では富山市と滑川市の市境で魚津方面に向かう少女達の車が目撃されている。“ナンパで知り合った男の車に同乗し”たとの部分は“未確認情報”ではなく、明らかな誤りである。この記事を書いたライターは間違いなく「富山よみうり」を読んでいない。“レイプされ(・・・)殺された”のくだりはどこかで読んだことのある話のように感じるが、2ちゃんねるに書き込まれた真相と称する作り話(後で紹介する)を要約したものか、拾った断片的な情報を繋ぎ合わせたものだろう。
 この記事を書いたライターは北朝鮮犯行説に誘導したいらしく、暴力団犯行説については、

“地元の暴力団関係者は「絶対ありえない。仮にやったとしたらとっくに捕まっているはず」と話しており、根拠に乏しい”(実話ナックルズ2007年11月)

との発言を額面通りに受け取って否定している。暴力団関係者が「暴力団の犯行だ!」なんて言うはずがない。更にこの記事では先に検証した「富山の恐怖図鑑」に“新聞記事からの抜粋”と称して掲載されていた文章を事実のように書いているが、07年時点で「富山の恐怖図鑑」は閉鎖しているので、恐らく「富山の恐怖図鑑」から他のサイトに転載されたものを孫引きしたのだろう。
 また、“北朝鮮問題に詳しいあるジャーナリスト”の談として次のような話を紹介しているが、

“「特に廃墟は身を隠すのに最適ですし、それが廃墟であればなおのこと。それだけでなく対日活動に必要な道具を日本側から受け取っていたり、あるいは廃墟内のどこかに保管していたケースも考えられます。ゆえに最初から拉致目的でなくとも、廃墟内で運悪く工作員を見てしまい、そのまま連れていかれた可能性もあるでしょうね。”(実話ナックルズ2007年11月)

 実際に坪野鉱泉跡を訪れていれば、このような考察は絶対しない。この“北朝鮮問題に詳しいあるジャーナリスト”は平地や市街地にあるホテル廃墟を想定して、このように推理していると思われるが、坪野鉱泉まで行くには、民家の点在するつづら状の山道を通らなければならない。高い樹木もないので、人目につきやすく、工作員が隠密行動を取るには不向きである。また、土台人の存在を考えれば、工作員がこのような水も食糧も調達しにくい(湧水の整備は失踪事件後の97年)、冷暖房もない過酷な場所でわざわざ暮らす必要がない。そして何より、暴走族や肝試しの若者が出入りし、隅々まで破壊されている坪野鉱泉に工作員が潜めるスペースなどない。
 その他、「実話ナックルズ」は坪野鉱泉で起きたもう一つの失踪事件として次のような事件を報じているが、

“失踪事件のあった1996年、事件に興味を持ったカップルが肝試しに行き失踪。カップルの関係者によると「彼女が建物内で変な声を聞いたり、人の気配を感じたりして怖がったんですって。彼氏も異変に気が付いて、建物近くにあった公衆電話から友達に電話をしたんだそうです。友達には『車が急に動かなくなってしまった。彼女もかなり怖がっているし、オレもさっきから人の気配を感じる。とにかく寒くて仕方がない』」という言葉を残したという。”(実話ナックルズ06.12)

これを裏付ける新聞記事などは見つからず、情報源も提示されていないので、ライターの創作と考えるのが妥当だろう。同記事では06年に魚津市の毛勝山で発生した遭難を坪野鉱泉の失踪と結び付けるような記述もあるが、こちらは後に遺体で発見されたことが「毎日新聞朝刊06.11.7」により報道されている。

“地元の警察によると脅迫・強姦・車上荒らしの報告が多数あり、不用意に近付かないよう呼びかけている。”

これはWikiに書き込まれた文章であるが、「富山よみうり」にも似たような記述があることから、「富山よみうり」が出典と思われる。「実話ナックルズ」にも、

“坪野鉱泉は過去に人が拉致されてきてレイプや暴行に巻き込まれる事件が多発したことから通称・拉致ホテルと呼ばれている。”(実話ナックルズ06.12)

との記述があるが、他に「富山よみうり」と同じ情報が見られないため、Wikiの書き込みを引用したものと思われる。
 “レイプ”と“脅迫”については坪野鉱泉と明記されてはいないが、次のように報じられている。原文では実名で報道されているが、ここではイニシャル表記にする。

“「魚津の山中で女子高生に乱暴、2容疑者を逮捕=富山」
県警少年課と砺波署は二十二日までに、富山市■■、無職■■容疑者(21)と、岐阜県高山市江名子町、店員男性(20)を婦女暴行の疑いで逮捕した。調べによると、二人は昨年九月中旬の深夜、魚津市坪野の山中で、当時女子高校生だった県東部の無職少女(16)に、「態度が生意気だ」などと因縁を付けて、乱暴した疑い。二人は富山市内のゲームセンターで少女と知り合い、肝試しに行こうと誘って乗用車で魚津市の山中に連れ出した。当初は約十人のグループだったが、現地で小グループに分かれ、二人と少女だけになったという。同署は、余罪があると見て厳しく追求している。”(読売新聞朝刊01.8.23)

“「16歳少女に乱暴の容疑者 援助交際させ30万円ピンハネ 砺波署再逮捕=富山」
魚津市の山中で、昨年九月中旬の深夜、当時女子高生だった県東部の無職少女(16)を連れ出して乱暴した事件で、婦女暴行容疑で逮捕された富山市■■、無職■■■■容疑者(21)が、被害少女を脅して別の男性に〝援助交際〝させていた疑いが強まり、県警少年課と砺波署は八日、同容疑者を児童福祉法違反の疑いで再逮捕した。調べによると、■■容疑者は昨年九月中旬、県東部のコンビニエンスストア駐車場で、上市町の会社員■■■■容疑者(33)(児童買春・児童ポルノ処罰法違反容疑で逮捕)に少女を引き合わせ、ホテルでみだらな行為をさせた疑い。■■容疑者は、富山市内のゲームセンターで少女と知り合い、「肝試しに行こう」と誘って乗用車で魚津市の山中に連れ出して乱暴したが、その際、少女の裸の写真を撮影。その後、少女を呼び出し、「自分は店を出す。三十万円用意しろ」「援助交際で稼げ。断れば写真をばらまくぞ」などと脅して、約三十万円近くを巻き上げていたという。”(読売新聞朝刊01.9.9)


 これらの事件の被害者は富山市から連れ出されているので、坪野鉱泉で偶発的に起きた事件ではないが、逮捕されたのが犯人の年齢は20歳前後で、坪野鉱泉少女二名失踪事件のあった96年当時は15~16歳ということになり、暴走族に入っていてもおかしくない年齢である。警察が追求した余罪の中に坪野鉱泉少女二名失踪事件はあったのだろうか。■■■■は本名でFaceBookに登録していたので、失踪事件についての質問メッセージを送ってみたが、返信は来ていない。

“1970から1977年ごろずいぶんにぎわって,毎晩、フィリピン人や東南アジアの女性たちの「ポリネシアンショー」と称するイベントが催されていた。東南アジアからのジャパユキさんの巣窟だった。すぐ近くに北山鉱泉があるがそちらは、老舗で上品さを売りにしていたが、その反対の色気とインターナショナルな雰囲気を売りにしていた。”

“一時、坪野鉱泉跡地再利用策として地元暴力団が特殊浴場(ソープランド)を建設する計画があったものの事前に当局サイドに嗅ぎつけられボツになる。”

“営業時は暴力団関係者などの人間の出入りも多かったため、「違法な賭博や不法入国の外人たちを薬品で束縛している」、「山奥のホテルで外人のお姉さんが埋められている」等の噂が実しやかにささやかれていた。”


これもWikiに書き込まれた情報である。具体的に書かれているが、創作である可能性が高い。にぎわったとされる時期の坪野鉱泉について書かれた出版物を見ると、富山県観光連盟刊「富山県観光ガイドブック」の昭和52年(1977年)版には“坪の鉱泉”、昭和54年版(1979年)には“ホテル坪の”の名で載っているが、いずれも

“胃腸病に効く名湯でありまた、春は山菜、秋はキノコ狩りなども楽しめ、多目的に利用できる。”

としか書かれていない。1972年発行の魚津市史編纂委員会編「魚津市史 下巻 近代のひかり」や1977年発行の「富山のいで湯」、そして倒産直前の1981年発行「全国温泉辞典」なども同様に湯の効能についてしか書かれていない。もし“色気”を売りにしていたのであれば、富山県観光連盟のようなお堅い団体のガイドには掲載されていないだろう。

“坪の名物料理とりと山菜の山鳥焼(さんちょうやき)・山鳥鍋(さんちょうなべ)お客様の招待に、四季の味美郷(みさと)料理・・・深山桶盛料理。土・日・祝日を除く、10名様以上無料サービス!!ワイキキプールで一汗かいて!!和風レストランシアター寿楽■(印字が不鮮明)で豪華なショーを見て!!サバークラブ ダンス天国 で夜のふけるまで踊ろう!!スタミナ補給は、そば処山里へ!!モーニングコーヒーは喫茶 寿楽 へ!! ”(北日本新聞朝刊76.3.26)

北日本新聞の広告を眺めていると上記のようなものをはじめ、「ホテル坪の」の名称でプール「ネッシーランド」に関する広告が散見された。Wikiに書かれていたようないかがわしいショーがあったという事実は確認できなかった。北日本新聞朝刊78年8月21日には、母子家庭や交通遺児を対象に坪野鉱泉のネッシーランドで「交通遺児夏休みの集い」を開いたとも報道されているので、ますますそのようないかがわしいショーがあった可能性は低いように思う。
 「富山県観光ガイドブック」については定期的に刊行されていたようだが、79年以降の版では坪野鉱泉やホテル坪野といった名前は確認できなかった。道下信用農協の再建整備計画についての記事に、

“五十九年度末で予想される約五億円の欠損には、五十四年の坪野鉱泉の倒産で出た約四億円の欠損が含まれておらず”(北日本新聞朝刊84.9.27)

とあるので、昭和54年(1979年)の上記ガイド発行前に倒産したらしい。
 特殊浴場の建設計画については確実にデマである。富山県の場合「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例」が特に厳しいため、建設が黙認される余地はない。

①自分の車で行ってはいけない。
②白い車で行ってはいけない。
③ドアを開ける時は気をつける。
④一人になってはいけない。
⑤自分の名前等の情報を言ってはいけない。
⑥帰ってからお祓いを受けた方が良いとされている。


これらは“坪野鉱泉から無事帰るための条件”として2ちゃんねるに書き込まれたものが初出である。もちろんスレッドの空気を読んで書き込まれた創作である。②については岩手県胆沢郡胆沢町石淵ダムをはじめ、遠く離れた全国各地の心霊スポットに同じタブーがあることから、ネットを介して伝播したと考えられる。失踪した少女達が乗っていたのは黒い車のため、それを知らない人間が書いたのだろう。同廃墟の治安の悪さは新聞でも書かれている通りなので、③~⑤については、安全のため守った方がよいだろう。

次はスレッド『【社会】 17年前の八王子市スーパー「ナンペイ」事件・・・元暴力団組員の拳銃 “線条痕”と酷似』からの引用である。

坪野①

坪野②

書き込んだ人物は同日に同一IDで「【社会】 "日本一の剣道の達人" 神奈川県警の警官、剣道ファンの女子高生に裸写真送らせる→逮捕」というスレに以下の書き込みをしていることから、書き込んだ人物は神奈川県在住、それも最初の書き込みがスーパーナンペイ事件の掲示板に書かれているので、未解決事件マニアと思われる。

坪野③

“ヴィヴィオ”という車名を出しているのは、書き込んだ人物が97年5月5日の「富山よみうり」をネットで読んだからであると思われるが、2000年の最後の報道で少女達の車が県外に持ち出された形跡はないと報じられているため、デマである。

次の文章もネット掲示板からの引用である(スレ落ちのため、タイトル不明。孫引きとなる)。

坪野⑤
坪野⑥
坪野⑦

リアリティーのある話だが、97年5月4-5日の「富山よみうり」で報じられている確定事実と異なる点が多いので、デマである。また、追求や矛盾点の指摘を逃れるために男の所在を知らないと予防線を張っている点で信憑性は低い。

次に紹介するのは「文殊菩薩と慧光童子の痣授かる四乃四四こと真言密教僧殊慧が悟りを教える」なるブログの記事だが、失踪した少女達を“女子大生”と書いた挙句(実際は会社員とスーパー店員)、“殺されている”と断言している。不謹慎きわまりない。

坪野⑧

「爆サイ」の氷見市雑談「魚津市に肝試しに行った氷見少女行方不明」では坪野鉱泉の失踪事件について事件の存在そのものを必死に否定しようとする書き込みや事件性を否定する書き込みが多数見られた。

氷見市雑談「魚津市に肝試しに行った氷見少女行方不明」③

 #11について、書き込みのあった2014年8月前後の県警HPをウェブアーカイブで確認したが、少女達の情報はなかった。念のため、それ以前も確認してみたが、やはりなかった。
 #12について、“レズビアンの心中”“彼氏歴なし”と他では聞かない情報を書き込んでいる。デマを飛ばしてでも事件性を否定したいらしい。

氷見市雑談4

 #1について、失踪した少女の一人が主婦になっているという初出の情報が書き込まれているが、これは失踪に事件性はなく、解決済であると言いたいのだろうが、これもデマである。
 以下、#1と同一人物によると思われる書き込みが#4、#6、#8、#10、#14、#15、#20、#22と続く。#22の書き込みについては、“行方不明”としか書かれていないにも関わらず、“犯罪にしたいんか?”などと事件性を認めるような否定コメントを残している。途中「富山よみうり」の新聞記事をコピペした書き込みが寄せられるも、書き込んだ人間は無視。最後まで事件の存在を否定し続けている。

氷見市雑談「魚津市に肝試しに行った氷見少女行方不明」①
氷見市雑談
氷見市雑談2
氷見市雑談3

以下の#7、#9も事件を否定する書き込みであるが、書き込み日時に開きがあるため、上記の書き込みと同一人物によるものかどうかは不明である。

氷見市雑談「魚津市に肝試しに行った氷見少女行方不明」②

 失踪事件に関する新聞記事がこれだけネットに出回っているにも関わらず、なぜ未だに事件の存在や事件性を否定しようとする人間がいるのか。 「富山の恐怖図鑑」の掲示板や「2ちゃんねる」にも不確かな情報や明らかなデマは多く書き込まれていたが、「爆サイ」の書き込みは“家族には連絡がある見たい”(原文ママ)や“レズビアンの心中”など、他では聞かない突拍子もない内容が多い上に、どこか必死さが感じられる。
 「爆サイ」は「2ちゃんねる」のようにIPアドレスが表示されないため、断言はできないが、書き込み日時の連続性からみて、否定的な主張を書き込んでいる人物は一人だろう。何が目的なのだろうか。他にも爆サイには犯行を自白する書き込みが見られた。

爆サイ北陸版富山雑談「坪野鉱泉少女二名失踪事件」
爆サイ北陸版富山雑談

爆サイ北陸版金沢市雑談「坪野鉱泉少女二名失踪事件」
爆サイ北陸版金沢市雑談

5.沈黙を保つ家族

この記事は事件から4年後に報じられた失踪事件に関する報道である。

“今年一月、新潟県柏崎市で九年間監禁されていた女性が保護された事件を受け、県警は県内の行方不明者の洗い直しを進めている。このうち、平成八年に姿を消した氷見市の女性二人=当時(19)=は依然、足取りがつかめず、事故や事件に巻き込まれた痕跡すら見つかっていない。二人の家族は「あきらめようと思っているが、もう一度会えたら…」と、かすかな希望をつないでいる。県警と氷見、魚津署は、二人が事件に巻き込まれたか、海や谷底に転落した可能性があるとみて周辺を捜索。二人が旅館跡近くまで行ったことは確認できたが、それ以後の足取りはぷっつり途絶えている。軽乗用車が県外に出た形跡はなく、車はいまだに見つかっていない。翌年三月には二人の写真や特徴を掲載した「たずね人」のポスターをつくり、情報提供を求めた。県警刑事部と生活安全部は二月二十二日、捜索の継続を再確認し、あらためて預金通帳やポケベルの通信記録、運転免許証の更新状況など調べたが、痕跡は見つかっていない。”(北日本新聞00.3.3)

警察はあくまで事件ではなく転落事故の線で捜査しているらしい。魚津を含めた県東部では過去に「車盗んで乗り捨て32台 少年グループを逮捕、補導 魚津署」(富山新聞朝刊90.2.3)や「富山の中3グループ15人 車20台盗み乗り回す」(北日本新聞朝刊93.3.20)といった暴走族による車の盗難事件がおきている。この事件の犯人達は96年5月5日にどこで、誰と、何をしていたのだろう。
 ではプロによる窃盗の可能性はどうか。失踪事件との関連は不明だが、96年以降はロシアへの盗難車密輸の取締が強化されたのか、摘発の報道が増えている。ただ、VIVIOのような軽四はロシアで好まれる車種ではない。また、東京・埼玉在住の日本人の窃盗団が県内で高級車を狙った組織的な窃盗を行っていたとの報道もあるが、VIVIOは高級車どころか普通車ですらない。
 さておき、想定されるルートのめぼしい場所をあらかた探しても車が見つからないとなると、これはもう意図的に隠された、つまり事故ではなく事件と断定してかまわないように思うが、遺体などの決定的証拠が出てこない限り警察も事件として動くことはできないのだろう。
 事件から今年(2015年)で19年が過ぎた。少女達が生きていれば38歳ということになる。もはや少女達の失踪が“若者の家出”でないことも身代金目的の誘拐でもないことも明らかであるし、公開が社会復帰の障害になることを気にする年齢ではない。それに車検や預金、ポケベルの通信記録にも何ら動きがないなど、どう考えてもまともな生活を送っているとは考えにくい。にも関わらず、なぜいまだに準公開捜査のままなのだろうか。

“二人の特徴は、A子さんが身長百五十三センチ、左利きで、八重歯、鼻の横にみずぼうそうの跡がある。当日の服装は、白のブラウス、黒地に白の縦じまのミニスカート、黒のカジュアルシューズ姿。B子さんは、身長百六十七センチ。当時は黒のTシャツにうぐいす色の綿パン、黒の革靴姿で、髪を茶色に染めていた。”(富山よみうり97.5.5)

 “準公開捜査”のはっきりした定義は不明だが、恐らく上記のような個人を識別できない程度の情報しか公開できないのだろう。この程度の公開で警察にそれほど有力な情報が寄せられたとは、考えにくい。失踪者の捜索支援サイトや特定失踪者リストを探しても、彼女達とおぼしき女性は登録されていなかった。
 今回記事を再編集するに当たって、この事件について富山県警に以下のような質問のメールを送ってみた。

①2000年以降、続報がないが、この事件は解決済なのか?
②警察として正式発表されている情報にはどのようなものがあるのか?
③情報開示請求を行った場合、どのような資料が閲覧できるのか?

いずれも回答は“お答えできません”というものであった。ただ、③については“開示請求を行ってみてください”とのことだった。

6.後記

 3年前の2012年、私は「未解決を歩く ― 坪野鉱泉少女二名失踪事件」という記事を公開した。今回書いた「新聞記事から考察する『坪野鉱泉少女二名失踪事件』」はその記事を加筆修正したものである。前回に引き続き、今回もネットにはびこるデマを排して情報を整理するために記事を書いた。前回の記事を書いた頃、ネットではオカルトサイト「富山の恐怖図鑑」の掲載する文章と匿名掲示板への書き込みが失踪事件に関する情報の全てであった。
 そのせいで一部からは「都市伝説ではないか?」と、事件の存在そのものを疑問視する声も聞かれた。“新聞記事からの抜粋”と称して文章を載せていた「富山の恐怖図鑑」でさえ、情報源を明記していなかったのである。
 そこで私は図書館で事件があったとされる90年代の新聞を読みあさり、失踪事件そのものに関する記事を探し当てた。そして魚津駅から事件現場となったホテル坪野跡まで実際に歩いた上で、先の「未解決を歩く ― 坪野鉱泉少女二名失踪事件」を書いた。
 ただし、この記事は情報を詰め込みすぎて引用箇所と私が憶測で書いた内容が入り乱れ、読みにくい文章になっていた。
 そこで今回、引用箇所の明確化と不要な情報の削除をおこない、新たに見つかったホテル坪野跡に関する情報も織り交ぜ、北朝鮮犯行説について考察するために特定失踪者の事例や元工作員の拉致に関する証言も文中に取り入れた。
 なお、私がこの事件に異常なほど注力する理由についてはまた改めて書きたいと思う。この事件はまだ終わっていない。事件の風化をくいとめることに少しでも貢献できたなら幸いである。
 最後になるが、2015年8月、この事件を進展させうる報道があった。

“<女性不明>手がかり発見も 知人、胸中複雑 島根
飲食店従業員、柏木佐知子さん(29)の乗用車が松江市の大橋川の川底から引き揚げられ、車内から身元不明の遺体の一部が見つかった。(・・・)柏木さんは2012年9月26日午後9時ごろ、同市寺町の飲食店に出勤し、27日午前0時すぎに、近くにある別の飲食店に男性客と行った。同2時ごろ、同市東津田町まで男性客を車で送った後で行方不明になった。松江署によると、ここ数カ月は最新鋭のソナーを利用した捜索を検討。東京都の一般社団法人「水産土木建設技術センター」が音波を使い、物体を数センチ単位で立体的に捉えることができるソナーを国内で唯一所有していることがわかり、同センターに捜査協力を依頼していた。”(毎日新聞朝刊2015.8.9)


3年前、島根県で車ごと消えた女性が川の底から車に乗ったまま遺体で発見されたのである。同じ技術でもって再捜査を行えば、坪野鉱泉事件の二人も発見できるかもしれない。そうなれば事件か事故かだけでもわかる可能性が高い。事件の解決に期待したい。

※平成8年(1996年)5月5日に富山県魚津市の坪野鉱泉へ肝だめしに向かったまま行方不明となっている19歳の少女2名について情報をお持ちの方はコメント欄からお寄せください。「当日、肝試しに行っていた」「暴走族OBがこんな話をしていた」「犯人を知っている」「少女達の所在を知っている」など、どんな情報でもかまいません。コメントは非公開設定にしておきますので、匿名でけっこうです。“あの日”、何が起こったのか、教えてください。

富山県警の皆様、お願いがあります。ダムや湖沼などの再捜索をお願いします。二人を助けてあげてください!


(参考文献)
実話ナックルズ2006年12月
実話ナックルズ2007年11月
読売新聞北陸支社版1997年5月4日17面 富山よみうり
読売新聞北陸支社版1997年5月5日17面 富山よみうり
読売新聞1997年5月18日朝刊17面
読売新聞1997年7月30日朝刊19面
読売新聞2013年6月1日朝刊
毎日新聞地方版2011年6月11日朝刊
北日本新聞1976年3月26日朝刊
北日本新聞1978年8月21日朝刊
北日本新聞1979年1月10日朝刊
北日本新聞1984年9月27日朝刊
北日本新聞1985年9月16日朝刊
北日本新聞1990年3月3日朝刊
北日本新聞1990年3月4日朝刊
北日本新聞朝刊1993年3月20日朝刊
北日本新聞1997年11月14日朝刊
北日本新聞2000年3月3日朝刊
北日本新聞2002年9月21日朝刊
北日本新聞2002年10月1日夕刊
読売新聞2001年8月23日朝刊
読売新聞2001年9月9日朝刊
富山新聞1990年2月3日朝刊
富山新聞1997年8月25日朝刊
北朝鮮拉致工作員(拉致に関する証言を確認)
わが朝鮮総聯の罪と罰(拉致に関する証言を確認)
朝鮮総連工作員『黒い蛇の遺言状』(拉致に関する証言を確認)
消えた277人(特定失踪者の事例を確認)
富山県観光ガイドブック昭和52年版
富山県観光ガイドブック昭和54年版
富山県観光ガイドブック昭和57年版(記載がないことを確認)
富山県商工名鑑 昭和42年版(記載がないことを確認)
富山県商工名鑑 昭和49年版(住所・経営者名を確認)
富山県商工名鑑 昭和56年版
職業別電話帳 昭和43~56年版(43年版では「坪野鉱泉」、56年版では「坪の鉱泉」)
魚津商工名鑑1982(記載がないことを確認)
富山県企業要覧1980年度(記載がないことを確認)
富山県企業揺籃1982年度(記載がないことを確認)
魚津市史 下巻 近代のひかり
富山のいで湯
全国温泉辞典
身元不明遺体情報(富山・石川・福井・新潟・岐阜・長野・群馬・栃木・山梨の各県警HPでA子さん・B子さんの特徴と一致する遺体がないことを確認。ただし、未掲載の遺体もある)

氷見の幻島(まぼろしとう)―布勢の円山―

氷見市布施の中心に「布勢の円山(まるやま)」という小高い丘がある。「越中伝説集」によると、かつてこの一帯には「布勢の湖(うみ)」という湖が広がっていたといわれ、円山はその湖に浮かぶ島であったと伝えられている。
 万葉集には、大伴家持が詠んだ

布勢の海の 沖つ白波 あり通ひ いや年のはに 見つつ偲はむ

という歌が収録されていることから、家持は国司として在任していた頃、都から来た知人と布勢の湖で船遊びをしたともいわれている。
 これらの話は事実として紹介されることが多い。しかし「富山ふしぎ探訪」は円山及び湖について次のように否定している。

“(・・・)この付近にかつて湖が広がっていたと聞けば、この小山が小島となって浮かんでいた姿を想像してしまう。江戸時代、すでに円山周辺は陸地だったが、多くの文人墨客がこの地をおとずれ万葉の昔をしのんだ。1803(享和3年)年、伏木勝興寺の住職は、万葉の故地・布勢水海を偲ぶため京都の絵師に布勢湖の絵を描かせた。その絵で円山は島として描かれ、印象は定着した。ところが、この一帯の遺跡から推論すると、布勢の水海は縄文時代こそ円山近くまで迫っていたが、以後徐々に小さくなり、奈良時代すでに円山の周りには広い陸地が広がっていたと思われるという。なぜなら、周囲の山の尾根の先端には古墳が多くあるが、これは村があり、リーダーがいたことを示す。村が出来たのは湖の周りに農業をする平地が広がっていたから、というのがその理由だ。もし布勢の円山が島だったとすると、水位は周囲の山々のふもとにまで達し、平野部がなかったことになる。(・・・)”

家持が湖を詠んだ頃には、既に湖は存在しなかったらしい。では家持は何を見て布勢の円山一帯に湖をイメージしたのか。次の写真を見てほしい。

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これは2010年に私が撮影した円山である。近すぎたため、全体が入りきらなかったが、円山を取り囲む水田が湖のように見え、今でも円山は湖に浮かぶ島のように見える。田や農道が整備される前は今よりもずっと湖に浮かぶ小島のように見えたのではないだろうか。近隣にある十二町潟がそんな想像を更に掻き立ててくれる。

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これは「富山ふしぎ探訪」でも島というイメージを定着させたものとして挙げられている1803年に京都の絵師が描いた布施の湖の想像図である。アスファルトの道路が視界に入る現在では、ここまで広い湖を想像するのは難しくなっている。

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ただ、円山から麓を見下ろすと平地の凹凸がないように見えるので、島から干上がった湖を見ているような感じがした。「越中志徴」に城址と記されているだけあって見晴らしは良い。円山にあった城の詳細は不明だが、明治時代の新聞に、

“布勢の丸山に、家持屋舗の当跡ありと云ふ”(読売新聞1896.5.25)

と書かれている。

 布施という地名については、布勢氏に由来するという伝説があり、それを裏付けるように円山には布勢神社が鎮座しているが、地形や土地条件から推察すると、湖に見えるほど地下水位が高いことから、豊富な“伏”流水に由来するか、もしくはお椀を“伏せ”たような円山の形状に由来するとも考えられる。
 尚、円山には、

ここに於いて栗の木3本見れば下に金が埋めてある

という埋蔵金伝説も残されている。埋蔵金伝説には“三つ葉うつ木”を含む歌が伝わっていることが多いので、“栗の木3本”も同様のものかと思われる。「万葉集」に見られる“三栗(みつぐり)の-”は、イガの中に3つの実が詰まっていることから“中(なか)”という詞を導く枕詞になっていると解釈されている。これを踏まえると上記の伝説は特定の場所を示しているわけではないことがわかる。
 大事な財産を埋めた場所の目印に枯れたり、伐採されたりして見失うリスクのある植物を使ったりはしないだろうから、あくまで伝説だろう。「越中伝説集」には、付近に埋葬者不明の十三塚や十三入江という墳墓があると記しているし、尾根を利用した古墳が見受けられるが、埋蔵金伝説は古墳に付随することが多いため、円山の場合も同種と見ることができる。

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↑万葉歌碑。

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IMG_0282.jpg
↑旧御影社。

(参考資料)
伝説とやま・越中伝説集・越中志徴・富山ふしぎ探訪・万葉集・読売新聞1896.5.25
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