六-1 越中の浦島

越中国愛本橋の南方黒部谷の山里に老若打ち寄つて日々碁会を初め、交る交る宿を立て碁を打つて楽んでいました。ある日のこと六十歳余りの年寄がのこのこやつて来て
『私は碁が好きです。どうぞ拝見させて下さい』
といつて腰を据え傍に座わり、その討つている碁を凝(じ)つと眺めていました。その中に一人は
『あなたも打たれるなら、私が打ち番だから代つて打つて見なさい』
といえば
『それは有難う。さらばどなたとでも手合せしましよう』
といいましたので、その村で一番強い碁打の人から褒められている者が
『お相手致しましよう』
といいあいせんで打ち始めました。年寄は村の者より五目余りも強そうに見えました。村人は
『貴方は上手にお打ちなさる』
と褒めて遂に六目勝ちました。それから老人とこもごも相手になり打つている間に、その日もいつしか暮れ果てました。
年寄は
『明日また参りましょう』
といつて家に戻りました、それから後は、毎日毎日そこへ遣つて来て日暮れては帰つて行きました。年寄はどこの人だか誰一人聞くものもなく、唯近辺の人だとのみ思い丁度一年を過しました。明くる年のこと一同寄り集まり今日年寄がまだ見えないが、定めし暇いりのあるのだろうと噂していました。
一人がいうよう
『あの年寄は何という者で、どこの人だろう』
誰一人知つている者がない。異口同音に
『どこの人だろうか』
と今更のように不審がり
『年寄が見えれば、一度は宿をして下さいと頼んで、あの宅へ行つて見ようではないか』
といい出せば皆のものが口を揃え
『それこそ面白かろう』
といつているところへ噂すれば影さすとやら、いつもの通り年寄がとぼとぼ向うからやつて来ました。皆の者が年寄に
『あなたは久しい間碁会へお出になりますが、一度おうちで宿をして下さい、私等うち揃うて参りましよう』
老人喜びの色を満面に漂え
『自分はいつから宿をしようと思つていた矢先き、もつけの幸いで御座る。然らば用意も致し明後日改めてお迎えにまいりましよう。皆々必ず御出で下さい』
といつて堅く約束し、碁も終つてから帰りました。その跡で一同のもの
『年寄が宿をするというこそ面白い』
と迎えに来る日遅しと待ちこがれていました。日の立つは早いもの一日千秋の思いをさせたその日になると、朝早く年寄が迎えに来て村の者八人の一行を打ち伴れ、先に立つて黒部の水上を辿りゆきますと、大きな滝が切り立つて崖の上から真直に白布を掛けたように落ちていました。年寄はそこに杖を停め
『この滝の中に人の知らない近道があります。一緒に滝壺の中へ飛び込んで下さい』
といいました。皆の者顔を見合わせ不思議に思いましたが、
いうがままに滝壺の中に飛びこみました。その中は洞になつて立派な大道があります。いずれもいよいよ不思議に思いながら十余町を進みますと、今度は広々として果しも見えない野原に出ました。この原を四五町なおも行きますと真向うに大きな黒い門が見えました。年寄は
『あれに見えるは自分の住家です』
と間もなく門を潜ると、正面に大きな式台があります。大勢鏡板に座わり
『遠方ようこその御出で』
と迎えに出で八人の者を座敷に通しました。間の様子を見渡すと、その綺麗なこと床には唐絵極彩色の三幅対を懸け流し、卓、香炉、床飾、残る隅なく飾り立てて、庭には築山、泉水、滝から蓬莱山、拝台石、守護石、飛石の配りもよく上手な園芸師が手を尽してこしらえた眺め見飽かない景色は、仙境に入つた心地にさせました。年寄が出て来て
『見苦しいはにゆうの小屋にようこそお出で下され誠に嬉しく、ゆつくり逗留してお遊び下さい』
と様々馳走して懇ろにもてなしました。
 翌る日になると、近所から好きな碁の相手とて上手な碁打ち三人来て交る交る打つ碁に一同面白く気を晴らし、それが済むと山海の珍味を調え酒宴を開いてもてなしました。八人の者喜ぶこと限りなく日の過ぎるを覚えません。年寄
『私に一人娘がいます、踊を習わせましたから、今夜は踊らせて御目にかけましよう。奥座敷へ御出で下さい』
といいました。黄昏(たそがれ)時から案内に伴れ一同奥に行きますと、燭台を配り十四五歳から十八歳になる綺麗な娘が居並んで三味線、胡弓、尺八を持ち出し調子をしらべ踊歌を初めると、向うから来るのは娘と見え年の頃二八余りの容顔殊に美しく艶な衣裳を着飾つて踊り出し、隨う大勢の娘共も思い思いの装束で拍子を揃え鳴り物に合わせて踊り、その目ざましいことは限りがないので、八人の者は現(うつつ)を脱かし胆(きも)を天外に飛ばしました。踊もだんだん代り天人踊、唐人踊、伊勢踊、ぜん太皷など数多く、終れは夜はほのぼのと明け渡る。年寄りが出で来て酒を進めました。一同娘の踊を褒め囃(はやし)いて挨拶しました。年寄は
『さて御退屈でありましたろう、まずまずお休み下さい』
といつて一間の寝床に案内させました。いずれも夜明け後まで夢を結びましたが、一人のものが目を醒まし
『さてさて不思議な所に来て四五日も逗留した。いざ帰りましよう』
といえば、一同俄かに帰郷の念沸き起り即時同意して起き出で、年寄に向い
『永々いろいろお手厚い御もてなしに預かつて有難い、最早お暇申しましょう』
年寄は
『折角のお出、せめてはもう二三日逗留して下さい』
といえば、何れも家内の者も待つていましよう、是非帰りたいと申しました。年寄、今は詮方(せんかた)なく
『然らばお心に任せましよう。しかし何か御馳走と存じ世に求め難い魚を今日購いました。これを手に入れるまでには随分心を砕きました。その魚を料理してお上げしましよう。唯今取り掛らせますから皆さん台所にいらつしやいましてどんな魚か御覧下さい』
といいました。何れも料理場に伴われその魚を見ると頭は人の形で丸く、目・耳・鼻・口あつて胴は鯛(たい)のようでありました。いずれも見慣れない魚だから名は何と申す魚ですと問えば「人魚です」
と答えました。皆々かかる珍しい魚を御求めの御礼申述べ難いと喜び元の座敷に戻りました。しかしいずれも初めて見た魚だから何となく恐れ慄きました。年寄は膳を運ばせ
『只今馳走します魚は至つて得がたく風味勝(すぐ)れ、之を食べますと長生します。緩(ゆつ)くり召し上つて下さい』
と挨拶しました。皆の者料理した魚を見ると刺身のように作つたもの、八人の者ども食べるように見せかけ懐紙を取り出しその魚を包み
『かような珍魚を独りで食べるのも惜しく、頂き帰つて家内のものに分けて食べさせましよう』
その他数々出た馳走のもてなしを受け
『さらばお暇しましよう』
と年寄に向い
『この間中は身に余る御叮嚀なおもてなしに預り御礼申しつくしがたい』
と厚く挨拶して立ち出れば、内の者は揃うて門の外まで見送り名残りを惜みました。年寄は
『自分は滝までお送り申しましよう』
と八人の先に立つて例の滝まで案内し
『これから外へ飛び出して下さい』
と挨拶して立ち別れました。皆々教えられた通り滝から飛び出し川縁に至つて、くだんの紙に包んだ魚を川に捨て
『さても不思議な所にいつて遊び面白く気を慰めた』
と話し合い銘々家にかえりました。家内の者ども胆を潰し死んだものが甦つた心地して一同を出迎え
『今までどこに居られましたか、八人づれで出られた日から今年で三年になります』
といえば、皆々顔を見合わせてびつくり仰天しました。紙に包んだ魚を捨てずに一人だけ持つて来ましたが、何心なく取り出したのを傍にいた今年十歳になる娘が土産と心得独りで食べてしまいました。日を経て八人の者が老人につれられて行つた滝を尋ねましたがさらに見当りません。ここぞと思う道もなく如何なる所であつたろうと、又々胆をつぶしました。それから後は年寄も来ず不思議の物語となりました。しかしかの魚を食べた娘が成長して他へ縁付きましたが、年をとつても老(おい)もせず長生して三百歳の寿命を保つたと伝えます。
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