五 名物愛本の粽(ちまき)

 日本北アルプスの谷間を流れる越中黒部の水が愛本に来て始めて扇の様に拡がる平原に頭を出し、老樹古木覆い被る両岸断崖絶壁の相対する岩脚に衝突し、碧潭(へきたん)渦を巻いて物凄くその上に一本の支柱なく『アーチ』形を誇るは日本三奇橋で名高い愛本橋であります。橋下幾十丈、試みに一升樽に水を入れその口から水をあけると、滔々一筋の紐となつて落ち樽の水のつきてなくなる頃漸く水面に落ち初めるといい伝え、古来幾千年ここの水はあせたことはありません。
 昔この橋の袂に徳左衛門という一軒の茶屋があつて旅人に渋茶一服、一ぜん飯など出いてその日を送つていました。この徳左衛門にお光という一人の可愛い娘がいましたが、谷間に生える白百合の色香深からねど、綻び初めた十八歳の優しい綺麗な姿、朝は川霧の冷たい中に起きて雨戸をあけ、店先の掃除、掃除が終ると村の娘達と一緒に声郎かに歌を口ずさみながら日々岩根をよぢて薪を採るに余念なく、常に老いたる両親を喜ばせました。近郷近在に孝行娘の名も高く、近間の若者達は勿論遠い庄屋や肝煎(きもいり)の一人息子からも縁を求める者も数多くありました。
 ある晩親子三人打ち寄つて世間話をしていますとトントンと戸をたたく者がありますから、戸外へ出て見ると誰もいません。この様な変なことが三晩もつづきました。翌る朝両親は早く起きて仕事にかかり日も随分高く上つたのに、いつも早起きのお光は一向起き出た気配もありません。不思議に思つてお光の寝床をのぞいて見ると、寝ている筈のお光の姿が見えません。変なことがあるものと思つて、近所隣の心易い所を片端から尋ね回りましたが一向判らないので、さては誰かにかどわかされたに相違ないと、数日間というものは気が気でありません、徳左衛門夫婦は血眼になってそこここと探しましたが、さらに手懸りはありませんので、今は根気負けして亡きものとあきらめるより外はありませんでした。かくてその年は去り、次の年も夢のように過ぎて、次の年の盂蘭盆(うらぼん)が訪ずれました。徳左衛門の家では、十三日の晩可愛い娘の三年忌に当り、ありし日の過ぎさつた事ども思い続けて、今更のように老の目をうるおしていました。もう戸締を済まして休もうとしていますと、庭先に軽い足音がして、トントンと戸を叩く音があります。耳をそばだてると『お母アさんお母アさん』と呼ぶ声がするので、なんとなく聞き覚えのある声ゆえ、母は驚いて愛着の念片時も忘れ得ない娘の声なのに駆け出て、あわただしく戸を明けると紛う方ない生みのお光が笹の粽(ちまき)を土産に持ち帰りました。夢かとばかり抱き入れ、夫婦喜んで労りもてなし、かつ越し方のありし事ども語り聞かせよといいましたが、お光ははずかしがる様態で少しも口にしませんでした。かくて翌日お光は母に向つて
『どうぞぬるみ湯を桶に入れて次の納戸(なんど)へ運んで下さい。私は産気づいたのでそこで身二つになろうと思います。しかし一生のお願い、産所へは必ず立ち入り下さるな』
といつて納戸に入り、戸をしかと締めました。見るなと念を押されたもののいよいよ見たいのは自然の人情、殊に年来忘れる暇もなかつた自分の娘の初産(ういざん)が気にかかり、また可愛いい初孫を見ることと思えば嬉しさ堪え兼ね、お光の固い嘆願をも打ち忘れそつと障子の隙間から納戸の内を覗きました。こわそもいかに、世にも類ないと謡われた美しい娘はいつしか蛇体と変わりいますので、思わずびつくりして声をあげて泣きさけびました。・・・・・・
 お光は忽ちもとの姿にたちかえり、何度より出で来て無念の涙せきあえず
『かほどまで私の願いを反故(ほご)にされました上は、親子の縁はこれ限り、別れのかたみに申し残して置きます。土産に持ち参りました粽は幾年たつても腐ることのない珍しい品であります。日に日に老い行かれる御両親は助ける者なくてはお困りでしよう。この粽で今世を安く送り下さい』
といつて精しくそのつくり方を伝授し、最早この家にいることは出来ません、これにてお暇申し上げますと外へ出たので、徳左衛門夫婦あわてふためき
『やよ娘・・・・・・何とてかくは急くぞ・・・・・・暫し止まれ・・・・・・。まだ初孫(ういまご)の顔も見ないのに・・・・・・』
と追い縋ろうとすれば、お光の足はいと早く、雲を霞と忽ち愛本橋の岸に至り、あなやと見る間に大蛇と化身し、すらすらと水底深く姿を隠しました。
 この伝説に基づいた笹の粽は、今日も愛本橋の畔、下立(おりたて)の茶屋で売り出され、この地の名物として世間に知れ渡つています。
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