一 越中の初めを物語る神様たち

 舟倉山は上新川郡東南の一角を占めます。山系は蜿蜒(えんえん)南北に走り、峨々(がが)たる立山連嶺の天外に雪の峯頭を上げた雄々しい姿には、覚えず壮絶奇絶を叫ばさせます。遠い神代の昔この山に姉倉姫と申す女神がいらつしやいました。この女神は我々の住んでいる越中の国を一番初めにお守り下さいました方であります。おつれあいは伊須流伎比古(いするぎひこ)と申しまして、今の越中と能登の国境補益(ふえき)山においでになり、お二人の御仲睦じく互に心をあわせて国内の政治をおさばきになりました。
 お隣の能登国杣木(そまき)山に、能登姫と申す心根の良くない女神がいらつしやいました。比古をうまくだまして、自分が姉倉姫の領地をよこ取りしようとおそろしい悪企みをされました。
 悪事千里のたとえ、この事残らず姉倉姫の御耳に伝わり、早速使者を遣わし能登姫に真心こめてお諫めになりましたが意地の悪い能登姫は一向姉倉姫のお言葉に取り合わず、反つて伊須流伎比古を唆(そその)かしました。
 いかに心の優しい姉倉姫も堪忍袋の緒を切り、今はこれまでと、国のためにはこのままにしておく訳にはまいりません。そこでいよいよ能登姫征伐の軍を起すこととなり、国中の兵をお召しになつて専ら戦の用意をなさいました。
 この知らせが能登姫の方へとどきますと、すわ大変なり、一刻片時も油断が出来ないと、直ぐ様数多の軍兵をかり集め敵を防ぐ相談をされ警戒おさおさ怠りありません。こうなると国内がかなえのわくのように上を下への大騒ぎとなりました。
 やがて両軍は今の氷見郡宇波山に出あひ、敵味方入り乱れ火花を散らして戦ひ、追いつ追われつ一進一退、血は流れて河となり屍は積んで山をこしらえ、その惨状は目も当てられず修羅の場面を描いて勝敗いつ果てるか分りません。国中は真暗となり、いろいろの悪者どもが荒れ出して彼処(かしこ)にも此処(ここ)にも泣きさけぶ声が響き渡りました。
 天地の神々様はこのむごたらしい有様を見て痛く御心を悩まされ、死者を高天原にお遣わしになつて、委細を高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)に御注進なさいました。尊はおききになつて吃驚遊ばされ直ぐ出雲の大国主命に詔を下され『速かにあらそいを鎮めよ』と仰せつけられました。命は勅を奉じてすぐ出雲の御殿を御出ましになつて、波荒ぶる八重の潮路を乗り越えて越路にお降りになりました。
 まず越の神々様をお召しになつていろいろ軍議の末、五箇の日鉾を作らせ苧(からむし)で長さ八尺の和幣(にぎで)を五つの色に染めて一筋ずつ鉾に結び下げ、五行の備を立て姉倉姫の立て籠る舟倉山のお城をお攻めになりました。ところが山の頂にまわり七里もある大きな池があつて登ることが出来ません。そこで山を掘つて池水を切り開かれますと大巨流となり、水は北へ北へと流れ全く海へ落ちて仕舞ひ、楽にお城を占領なさいました。
 姉倉姫は命の御勇気におじおそれ、いつの間にか柿𣜤(かきひ)の宮へお逃げになりました。命はさらに軍を東に進めて宮を襲ひ、姫を生け捕りにし今の呉羽山の西麓小竹野に流し、この地で布を織つて貢物とし、また越中の女共に絲をつむぎ機を織る業を教え、その罪をあがなえと仰せ付けられました。
 これで姉倉姫の御処分が済みましたから、今度は戦争を起した大根元であるのと姫と伊須流伎比古を御征伐になりました。二人の神様は沢山の兵を寄せ集めて、初めは随分必死と刃向かいましたが、命の御威勢には到底かないません。今までの勇気はどこへやら、間もなく生け捕りのうき身に遇いました。命はその罪をお正しになつて、海辺に連れ出しお曝らしになりました。
 今では誰一人はむこう者がなくなりまして、国内元のように明るくなり、数多の悪者共も一目散に隊を崩して雲を霞と逃げ失せて姿を匿し、国人の歓ぶ声は天地をふるい動かし、ひたすら命の御手柄を誉めたたえました。
 命はこの度の戦に御味方申し上げました神々様の御手洗を一々おほめになりましてめでたく都へかえられました。命はかの八岐の大蛇を御退治になりました素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子に任(まし)まし、世に出雲の大社と崇めまするお宮は実にこの大国主命をおまつりしておるのであります。
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