「頭川トンネル」―100年目の真実―

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1.心霊スポット「頭川トンネル」

 高岡市頭川と氷見市仏生寺(ぶっしょうじ)をつなぐ津々良隧道(つづらずいどう)、通称・頭川トンネル。明治30年代に原形となる素掘りのトンネルが掘られた後、数回の改修を工事を経て使用されていたが、高度経済成長期のマイカー時代到来により交通量に対応できなくなり、1979年3月23年の「しんつづらトンネル」開通によってトンネルとしての役目を終えた。
 廃道後まもなく、このトンネルについて不気味な噂がささやかれ始める。いわく、

“焼身自殺をした女性がいた”
“片足を引きずった白い犬が出る”
“このトンネルを訪れた後、タイヤがパンクした”
“女性の霊が出る”


などである。どの噂も廃トンネルにはありがちなもので、個人的には興味をそそられる場所ではなかったが、坪野鉱泉の失踪事件について調べていた時、失踪した二人が住んでいた地区に近いことから、このトンネルにもおそらく肝試しに来ていた可能性が高いと考え、何か手がかりが見つからないかと思い、調べ始めた。残念ながら事件の手がかりは得られなかったが、このトンネルの意外な過去を知った。今回はその過去を多くの人に知ってもらいたく、文章を書いてみた。オカルト目当ての方には退屈な内容かもしれないが、しばしお付き合い願いたい。

2.仏生寺と津々良隧道

“トンネル付近の土地の所有者である関係でそこへ仕事に行く事には、何の抵抗もなかったが、頭川からの約三米千(キロ)の道には街頭もなく、特に夜間の通行は淋しく怖くさえ感じられた。”

“津々良隧道の一・五米切り下げる前は天井も低く、トンネルに入ると反響して一人歩いていても、誰か後ろから人が来る様な感じがした。”


 1998年5月発行の雑誌「氷見春秋37号」の「仏生寺と津々良隧道」P8とP11において、このように証言するのは氷見市仏生寺出身で現在、同市大窪に住む荒井俊夫氏である。荒井氏は頭川トンネルが心霊スポットとなっていることにも言及している。

“数年前だったかこの津々良隧道付近に「幽霊」なる物が出現するとの報道があった。うわさの真偽を確かめに数回張り込んで見たが、遂に一回もそうした物の出現には会えなかった。”(「氷見春秋37号」P9-10「仏生寺と津々良隧道」)

 頭川トンネルの不気味さを身をもって知る荒井氏だが、“数年前の報道”で始めて幽霊の噂を耳にしているようなので、現役時代は不気味なだけで、幽霊の噂はなかったらしい(報道については不詳)。
 また、荒井氏は幽霊の噂について言及するにあたって、先に挙げた焼身自殺の件について一切触れていないので、焼身自殺についても単なる噂だろう。魚津市の白倉トンネルで19歳の男性が焼身自殺したという噂を挙げるまでもなく、心霊スポットに焼身自殺の噂は付き物であるが、多くの場合、実際には起きていない・・・というか、起きるはずがない。例外はあるが、「完全自殺マニュアル」でも、

“焼身自殺は苦しい。皮膚を100%火傷しても即死できずに病院に運ばれ、そこで半日程度もがいたあと、ようやくこと切れることも多い。(・・・)ごく普通に死にたい人には絶対に薦められない。ただしあなたが世間になにかを訴えるために死にたいのなら、焼身自殺ほど影響力の大きいものもない。”

と解説されている。つまり、人けがなく、周辺に首を吊れる木がいくらでもある山中で、わざわざ選ぶ方法ではないのである。ただ、シーンとしずまりかえった心霊スポットで「ここで昔、焼身自殺があった」と想像すると、心霊スポットの静けさと(あくまで想像だが)焼身自殺にともなうもがきや叫びといった喧噪が対照的で、不気味さが際立つ。心霊スポットの噂に焼身自殺が多いのはそのためだろう。
 荒井氏は次のような証言も記している。

“最奥部の「黒滝」付近では、野犬が群れて居たこともあり、高岡からの帰り道は集団通行を基本とした。”(「氷見春秋37号」P9「仏生寺と津々良隧道」)

 野犬の特徴までは書かれていないが、“片足を引きずった白い犬が出る”という噂はこの野犬の存在から生まれたのではないだろうか。“白い”という特徴は白装束のように死を連想させるものなので、「この世のものではない」というニュアンスを込めて付されたのだろう。
 野犬といわれても若い世代にはピンとこないかもしれないが、昭和のある時期まで野犬が外を徘徊するのは日常風景であり、その数も尋常ではなく、山中では上記の黒滝同様に群れていることもままあった。実際、山麓に位置する高岡市矢田では戦後になってからも、子供が野犬の群れに襲われて死亡する事故が起きているし、周辺では何度も大規模な野犬狩りが行われたが、駆除が追いつかないほどの数がいたのである。

“坂を登り切ると、子供の頃、仲間と何度も潜ったトンネルがあった。(・・・)すでに人通りの無くなったトンネルの中は、多くの落書で側壁は汚れに汚れていた。”(「氷見春秋28号」P31「仏生寺の津々良隧道(一)」)

 これは仏生寺出身で現在、福井市三十八社町在住の雨池光雄氏が1993年11月発行の「氷見春秋28号」に書いた文章の一部である。93年当時、既に頭川トンネルは肝試しの場所になっていたことがうかがえる。しかし、次の証言からこのトンネルが単なる不気味な心霊スポットではなく、人の命を救ってきたことがわかった。

“夜中に病人が出ると「戸板」と言う道具で高岡まで人を運んだ。(・・・)降り積もった雪の中をこの戸板で死人まで乗せて高岡から仏生寺まで運んだ話も曽根与史氏からお聞きした。”(「氷見春秋28号」P32「仏生寺の津々良隧道(一)」) 

 少しわかりにくい文章だが、急病人を高岡の急病人を高岡の医者まで連れて行ったが、間に合わず遺体を村へ搬送したという話である。ネガティブな書き方がなされているが、山越えで急病人を運んだ時代に比べれば、トンネル開通による時間短縮で救われた命も多かったのではないだろうか。
 また、仏生寺の人々はこのトンネルを通って高岡へ産物を売りに行き、わずかな現金収入を得ていた。命を救っただけでなく、生活まで豊かにしたらしい。

“常に天井から落ち続ける水で路面が泥濘(ぬかる)み、人々が歩くと膝まで沈んだほどだと言うことであった。(・・・)人々は天井からの岩石の落下を恐れ、トンネルの道の悪さを恐れ、早く暗いトンネルの中を抜け切るために急いだものと思われる。”(「氷見春秋28号」P31「仏生寺の津々良隧道(一)」)  

 現在の頭川トンネルも高岡側の入口付近に大量の水がたまっていることは有名であるが、昭和7年のコンクリへの改修前は“膝まで沈んだ”とのことなので、かなり深かったらしい。この頃のトンネル利用者にとっては、霊的なものよりも崩落の恐れの方が強かったことが証言されている。
 ところで「氷見春秋」の文章では“頭川トンネル”の通称が一切使用されていない。この通称はトンネルの現役時代に使用されたものではなく、肝試しに来る若者の多くが人口比の関係上、高岡側つまり頭川側から来ることが多かったために生まれたものと思われる。もし氷見側の方が若者が多かったなら、仏生寺トンネルが通称になっていたかもしれない。


4.頭川トンネルの見た戦争

“物の不足から物資が戦時統制され、勝手に物を売れない時代があった。それでも人々は生活を支えるために隠れるようにして背に物を担いで売りに行った。その売りに行くのを、巡査がトンネルの出口に見張っていて捕まえた。”(「氷見春秋28号」P33「仏生寺の津々良隧道(一)」) 

 当時の人々にとっているかどうかわからない幽霊より、実在する巡査の方が恐しかったことだろう。私が頭川トンネルを訪れたのはちょうど8月であったが、トンネルまでの山道を歩いて登るだけでもかなりの疲労であった。この山道を積み荷を背負って登った末に荷を没収されてはたまったものではないだろう・・・。
 こうして頭川トンネルにも次第に戦争の影がチラつき始め、末期になるとこのトンネルは出征する若者を村人が最後に見送る場所となっていく。

“(・・・)又戦時中出征兵士を見送る時は、トンネルまで村民や小学校の全児童が見送りに行った事を今でも思い出す。”(「氷見春秋37号」P8「仏生寺と津々良隧道」)

“氷見市仏生寺の津々良隧道、それに繋がるこの七曲りの坂は、出征して行く兵士に対しても、また格別の哀愁を与えたはずである。(・・・)兵士たちはこの坂を登り、一つの峠を越えて、生死を分つ前線へと向かって行ったのである。”(「氷見春秋32号」P28「仏生寺の津々良隧道(二)」)

“隧道にさしかかると、兵士を送る歓呼は今また大きくなった。長い坂を登り切った喜びと、見送りもここまでという意識が働くのか、男も女も万歳万歳を繰り返し、薄暗いトンネルの中へ入って行くのであった。(・・・)こうしてトンネルを抜けると、道は頭川に向かって下り坂になっていた。その下り坂も二、三百米行くと左へ曲っている。在所の人々の見送りもここまでであった。氷見を経て出征して行く兵士の見送りは、惣領を通って飯久保の天満宮のしたまでであったのだと兄の孝作が言っていた。”(「氷見春秋32号」P31「仏生寺の津々良隧道(二)」)

出征

 “飯久保の天満宮”は奇しくも現在、幽霊神社と呼ばれ、頭川トンネルと合わせて肝試しの場所になっている。かつて出征する若者を最後に見送った場所がいずれも心霊スポットになったのは偶然だろうか。
 私の想像だが、お盆の時期には多くの戦没者遺族が魂を出迎えるためにこの場所を訪れていたが、わけもわからず連れて行かれた子供にとってはただ暗くて不気味な場所で、その記憶を元に肝試しが行われるようになったのではないだろうか。また、頭川トンネルと幽霊神社はいずれも女性の霊が出るという噂があるが、出征した夫や息子を待ちつづける女性が最後に見送った場所へ足げく通う姿が誤認されたか、からかいを込めて幽霊と呼ばれるようになったのではないだろうか。
 一人の女性が戦死した夫か息子か、はたまた恋人かを夏が来るたびに思い出し、戦後何年経ってもふと見送った駅に足が向かい、雨の中ただ立ちすくむ、森山直太朗が「夏のおわり」で歌った情景がここにはあったのかもしれない。



“それから五十年もの歳月が流れた。が、今なおその傷跡が残っている。老いてなお子を思い続けておられる方もあるだろうし、夫の帰還のないまま老いてしまわれた方もある。戦争は終わったなどと言うが、まだまだ終わってなどいない。”(「氷見春秋32号」P32「仏生寺の津々良隧道(二)」)

“下田子から頭川トンネルの氷見市側の入り口あたりまでの国道160号線を地元の人たちは《白骨街道》と呼んでいる。怪奇現象の多発地帯ということで、いつのまにか、この名で呼ばれるようになったようだ。心霊現象に興味のない住民たちにも、この《白骨街道》という呼び名は知れ渡っており、この呼び名は市民権を得ているといってもいい。”(「幽霊がいる場所、教えます。」P107)

私は“白骨街道”という呼称をこの本で初めて知ったが、初版発行の2007年10月6日より前の2006年10月29日に作成されたWikipedia「津々良トンネル」の記事に“白骨街道”の記述が見える。

“このトンネルまでの道のりは、白骨街道という名がついていて、地元住民等に聞いても由来は不明である。トンネルの中は照明が無いこともあって暗く、入った瞬間から空気が重く、雰囲気が悪いそうである。なんでも、行った人は必ず何か起きる(幽霊を見る、金縛りにあう、事故にあう等)とか。また、トンネルを出た直後に放し飼いにされている白い犬が出てくるそうなので、注意すること。また、内部にはお地蔵さんがいるそうである。”

 そもそも記事名「津々良トンネル」からして間違っているし(正確には津々良隧道)、白い犬の話はネットで拾ったもの、地蔵があるのは頭川トンネルではなく牛首トンネル・・・などなど、かなり杜撰な情報が書かれているので、白骨街道についても創作か何かだろうと考えていたが、「氷見春秋32号」に次のような証言があった。

“(・・・)しかし、多くの兵士が還ってこなかった。そして遺骨となって帰って来た。その遺骨を迎えに出たのも、この津々良隧道を出た所の坂までであった。道に沿って並んでいると、頭川からの登り坂を、白い布に包まれた遺骨が家族に抱かれて登って来た。曲った道に沿って多くの杉が生えていたので、白い布で包まれた遺骨が、杉と杉の合間にチラッ、チラッと見える。なお待っていると遺骨に続いて軍服姿の写真が、頭(こうべ)を垂らした家族の胸にあった。迎えに出た人々は、その遺骨と写真に深く一礼をして迎えた。痛々しかった。写真の中の帽子の鍔(つば)の下の澄んだ若い眼差しを見るとなおさらであった。”(「氷見春秋32号」P31「仏生寺の津々良隧道(二)」)

頭川トンネルへ続く山道には確かに白骨を運んだ過去があったのである。ただ、これが偶然の一致なのか、白骨街道の話の発端なのかは不明である。


5.その他の噂の検証

1章で挙げた噂については2~4章で検証してしまったので、ここでは上記以外の噂について検証してみよう。

“原因不明の事故が相次いだので、廃トンネルとなった”

 実際に事故があったという事実は確認できなかったが、廃トンネルになった理由は自家用車の普及で車一台分の幅しかないトンネルとそれに続く道では間に合わなくなったことから、新津々良トンネルが建設されたことによる。余談だが、頭川トンネルには仏生寺と高岡駅を往復するバスが通っていたらしい。

“このトンネルを通ると車がパンクする”

実際に高岡側からトンネルまでの道を歩いてみたところ、路上に大小の岩石が転がっていた。パンクの噂はこの岩石によるものではないだろうか。

“頭川の地名は昔、処刑場があって斬首した首を川で洗ったことに由来する”

「頭川城ヶ平横穴墓群調査報告Ⅲ」P3に“別名、外古川とも言い、(・・・)大字「頭川」の由来ともなっている”と記されていることから、まず頭川川という川があって頭川という地名が付いたようだが、川名の由来は不明である。ただ、頭川に処刑場があったという事実はなく、生活用水で首を洗うはずもないことから、恐らく当て字からの連想と思われる。


6.最後に

 古書店でもし同人誌「氷見春秋」 を偶然手にしていなければ、私にとって頭川トンネルは今でも一部の若者が肝試しと称して騒ぐ場所という認識のままだっただろう。せっかくの記録が死蔵してしまうのはもったいないという思いから、最初に書いた通り多くの人に伝えたくて文章を書くことにした。2010年8月、私は何も知らずに頭川トンネルを訪ねた。地中からの冷気が流れ、夏でも寒い・・・理屈でわかっていても、ただ不気味なだけのトンネルであった。しかし、その後の2015年4月に訪ねてみると、不気味さはもちろんあったが、それ以上に「氷見春秋」に記された歴史がまざまざと眼前に浮かび、朽ち果てたトンネルの姿に哀愁を感じた。
 荷を運ぶ人々、高岡の祭へ行く子供たち、出征兵士、戦没者遺族・・・いろんなものを自然と想像せざるを得なかった。
 「氷見春秋」に寄稿された雨池氏と荒井氏はこの隧道がいずれ忘れ去られることを危惧していたようだが、今後も忘れられることはないだろう。

(参考資料)
氷見春秋28号「仏生寺の津々良隧道(1)」
氷見春秋32号「仏生寺の津々良隧道(2)」
氷見春秋37号「仏生寺と津々良隧道」
完全自殺マニュアル
幽霊がいる場所、教えます。
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